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富本憲吉 Tomimoto Kenkichi
1886年 奈良・斑鳩法隆寺に近い、安堵村の桃山時代から続く
旧家の生まれ。
1893年 祖父の友人の日本画家、嘯園について南画を学ぶ。
1903年 東大寺大仏殿回廊で開かれた日本美術院主催の展覧会に
法隆寺壁画の模写作品を出品し入選。
1930年 可児市久々利大萓牟田洞の古窯跡で桃山時代の
志野茶碗の陶片を発掘し、桃山時代の志野が美濃で
焼かれていたことを実証する。
1904年 東京美術学校図案科に入学。
1908年 英国に私費留学。ホイッスラー、ウィリアム・モリスの
工芸思想を勉強し、西洋建築を修学。
1910年 建築家、新家孝正の助手として、インド旅行に出発。
パリ、マルセイユ、カイロ、ボンベイ、デリー、カルカッタ
などを巡歴し、回教建築、室内装飾等の撮影、調査を行う。
1911年 バーナード・リーチと親交を結ぶ。
1912年 この頃、木版画・染織等の制作をはじめる。
リーチと共に六世尾形乾山を訪ねる。
1913年 安堵村の自宅の庭に楽焼の窯を築き、制作をはじめる。
木版、染織の制作も行う。
大阪にて津田青楓と二人展を開催、楽焼・染織・木版画を
発表、斬新な図案で好評を得る。
1915年 この頃より陶芸に活きる事を決心する。
村はずれに本窯と住居工房を建てる。
1919年 瀬戸・信楽・京都の窯場巡り。
はじめて独自の白磁壺を制作。
色絵・金彩の試作も試みる。「模様画巻」を描く。
1920年 助手小城久次郎の協力で磁器の陶板焼成に成功。
長崎、有田・波佐見に陶磁器の研究旅行をする。
1926年 東京都世田谷区祖師谷(元、東京府北多摩郡
千歳村)に転居。
1928年 東京での初窯を焚く。
1930年 波佐見・三河内古窯を自ら発掘。
この年に益子にも行く。金銀彩の上絵付けに成功。
1931年 日本版画協会会員となる。英国にてリーチと合同展開催。
1933年 磁器による大型の角筥焼成に成功。
1936年 色絵磁器研究のため、九谷の北出塔次郎の窯へ
行き制作する。
1937年 帝国芸術院官制が制定され、芸術院会員に任命される。
第1回新文展審査員となる。
1946年 国画会創立20周年記念として「富本憲吉20年
史室」が同会に設置。単身郷里の安堵村に帰る。
東京美術学校教授芸術院会員を辞す。
京都に移り、福田力三郎の窯制作。同志と共に
国画会脱退。
1947年 新匠美術工芸会結成、代表者となる。
1950年 京都市立美術大学教授となる。
1951年 羊歯の連続模様完成、金銀彩同時焼成を成功。
1955年 文化財保護委員会から第1回重要無形文化財
(人間国宝)に認定される。
東京高島屋にて「富本憲吉作陶45年記念展」開催。
1959年 ベルギー国際陶芸展に「色絵磁器金銀彩花字
羊歯文大皿」を出品。
1961年 東京・日本橋にて「富本憲吉作陶50年記念展」開催。
文化勲章受章。
1962年 京都市に新居を構える。
プラハ第3回国際陶芸展に出品、銀賞を受賞。
1963年 京都市立美術大学教授を定年退職。同大学学長に選任。
6月死去。
従三位、勲二等旭日重光章を贈られる。
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