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 真葛香山  Makuzu Kozan   

    宮川長造の四男・寅之助(1842〜1916)が長平の妻と子を
    引き取り19歳で家督を継ぎ真葛焼の名をさらに高め、有栖川宮の
    勧誘と薩摩藩士小松帯刀の後援により明治3年(1870)に家族を
    連れて横浜に移住。同所の南太田に陶窯を築き、真葛焼
     「真葛香山」と称した。
    なかでも初代香山は、京都の陶工の
    家に生まれながらも、海外への玄関として 発展著しい横浜に
    移住して製陶に励み、のちに当時として最高の栄誉である
    帝室技芸員に選ばれるなど、日本の近代陶磁史に大きな
    足跡を残した。
    2代真葛香山(1859〜1940)宮川半之助もこれを手伝う。
    3代真葛香山葛之輔が昭和20年横浜大空襲に被災して死亡。
    3代目の弟智之助が4代目を名乗り復興を目指すが昭和34年に
    亡くなり「真葛窯」は絶えた。これを「横浜真葛焼」と呼ぶこともある。