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藤原雄 Fujiwara Yuu
1932年 藤原啓の長男として岡山県に生まれる。
1955年 明治大学文学部日本文学科を卒業後、東京の
みすず書房に就職する。
そこで雑誌の編集に携わりますが、子供の頃からの弱視という
ハンディを抱えていた為、細かい校正等の仕事は
耐え難いものでした。
父が胃潰瘍で入院した為に帰郷し、小山冨士夫の勧めもあって
陶工になる事を決意する。
そして、本格的に家業である陶芸の道に飛び込み、父について
想像を絶する努力と徹底した厳しさをもって修練を積みました。
1958年 山陽新聞社長賞を受賞。
1959年 日本工芸会東中国支部展で県知事賞を受賞。
1960年 日本伝統工芸展の出品作品が外務省に買い上げられる。
一水会賞を受賞し、一水会会員に推挙される。
1961年 日本工芸会正会員となる。
日本工芸会東中国支部展で県知事賞を受賞。
1963年 スペイン・バルセロナ国際陶芸展でグランプリを受賞。
この頃から国際的に活躍するようになる。
岡山の池田動物園に噴水とオブジェを制作。
1964年 各国の大学で備前焼の講義を行う。
アメリカ・コロンビア大学の第一回国際工芸家会議に
日本代表として出席する等、精力的に備前焼の海外交流の
土台作りに奔走する。
1965年 アメリカ・ダートマス大学客員講師として招聘を受ける。
ダートマス大学、メトロポリタン美術館、ニューヨーク近代
美術館、シカゴ美術館に作品を寄贈。
1966年 サンフランシスコ州立大学の講師に就任。
1967年 岡山県備前市西灘に築窯。
最優秀作家として日本陶磁協会賞を受賞。
1969年 日本工芸会理事長賞、商工会頭賞を受賞。
1973年 大壷が北京の日本大使館に買い上げらる。
オーストラリア政府より招聘を受け、各大学や美術館で
備前焼の講義を行う。
金重陶陽賞を受賞。
1974年 備前茶碗が東京・赤坂迎賓館に買い上げらる。
玉島中央病院、備前市役所にレリーフを制作する。
1975年 岡山県文化奨励賞を受賞。
日本盲人連合よりブライトスター賞を受賞。
1976年 岡山県美術展、伝統工芸中国展の審査員に就任。
フランス日本大使館、ボルドー美術館、カンティーヌ美術館、
レンヌ美術館、チェネルスチ美術館に作品を寄贈する。
1977年 高野山・金剛峯寺に花入を奉納する。
財団法人・備前陶芸会館常務理事、財団法人・藤原啓
記念館副理事長に就任。
1980年 中日国際陶芸展審査員に就任。
岡山県重要無形文化財に認定。
重要無形文化財指定を記念して岡山県に大壷を寄贈。
1982年 厳島神社宝物殿に壷を奉納する。
1983年 ニューサウスウェールズ州立美術館、カンタベリー美術館、
北京の日本大使館に作品を寄贈する。
京都・知恩院に啓と雄と和の三代作品を奉納する。
1984年 山陽新聞賞を受賞。
山陽新聞社に文化功労賞受賞記念として壷を寄贈する。
伊勢神宮に壷を奉納、井原市立田中館に作品を寄贈する。
1985年 岡山県立文化賞を受賞。
紺綬褒章を受章。
広島市に作品を寄贈する。
1986年 オカニチ芸術文化功労賞、中国文化賞を受賞。
北海道立近代美術館、広島市役所、中国新聞社に
作品を寄贈する。
岡山大付属病院、岡山理大にオブジェとレリーフを制作。
1988年 日本工芸会理事、中国支部幹事長、備前陶友会
副理事長に就任。
1990年 芸術選奨文部大臣賞を受賞。
広島・御幸橋に大モニュメントを制作。
1991年 東京銀座・王子製紙本社ロビーにレリーフを制作。
1992年 大徳寺・聚光院に花入と燭台を奉納する。
中国銀行新本店11階貴賓室、明星大学青海キャンパスに
レリーフを制作。
1995年 アカデミア芸術文化賞を受賞。
1996年 重要無形文化財「備前焼」の保持者(人間国宝)に認定。
日本伝統工芸史上初の親子二代で人間国宝となり、
世の注目を集める。
1997年 明治大学特別功労賞受賞。備前陶友会名誉会長就任。
三木記念賞受賞。
2001年 10月29日 没
重厚でふくよかな大壷や大徳利を多く手掛けた事から「壷の雄」
とも呼ばれ、北大路魯山人の影響を受け食器も得意とする。
海外の大学から度々講師に招かれ、備前焼についての講義や
実技指導を行う等、国際文化交流の上にも大きく寄与しています。
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