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バーナード・リーチ Bernard Leach
1887年 香港で、生まれる。
父は、イギリス人。母は、日本人。
日本在住の祖父母に引きとられて、京都や彦根で
幼年時代を過ごす。
祖父は京都の第三中学校や彦根中学校で英語教師をしていた。
1890年 植民地官僚だった父の再婚と転勤に伴い香港に転居。
1903年 ロンドンのスレード美術学校に入学。
1904年 香港上海銀行に入社。
1905年 香港上海銀行を退社。
ロンドン美術学校に入学。
1907年 ロンドン美術学校でエッチングの技法を学ぶ。
ロンドン留学中の高村光太郎と知り合う。
1909年 日本に帰国。
東京・上野桜木町に転居。
同人誌「白樺」の仲間に上野の自宅でエッチングを教える。
柳宗悦と出会う。
1910年 富本憲吉と知り合う。
1911年 富本憲吉とともに上野公園で行われた万国博覧会に
出展していた堀川光山を訪ねて、楽焼の絵付けを始める。
1912年 お茶の席で用いた楽焼に強く惹かれ、
6代尾形乾山に入門。
楽焼についで本焼の技法を修得し、本格的な
陶工として立つ。
後に7代乾山の名を免許。
1914年 東京で初の個展を開催。
1917年 師の乾山の窯を譲り受けて、千葉県我孫子市の
柳宗悦の邸内に移築。
ここで作陶を開始。
我孫子在住の白樺派の重鎮志賀直哉との交遊を深める。
1919年 窯が火事で焼失。
黒田清輝の邸内に東門窯を設けて藍絵による作品を
手がける。
1920年 陶芸家の濱田庄司とともにイギリス南西部の港町の
セント・アイヴスに転居。
ヨーロッパ初の日本の伝統的な登り窯を築窯。
1922年 「リーチ・ポタリー(リーチ・ポッタリー)」(Leach Pottery)
という名の製陶所を設立。
セント・アイヴスで西洋と東洋の美や哲学を融合させた
陶磁器を作り(「東と西の結婚」)朝鮮や日本、中国の
日用陶器に注目したほか、スリップウェアや塩釉 といった
イギリスやドイツの忘れられつつあった伝統的な日用陶器
にも着目してその技法を習得する。
1934年 イギリスでの陶芸全般の評価に失望し再び来日。
日本民藝館設立を目指していた柳宗悦に協力。
1940年 イギリスで「A Potter's Book」(陶工の書)を出版。
バーナードの職人としての哲学や技術、芸術家としての
思想を明らかにした本で彼の名を知らしめるもとになる。
アメリカ人画家マーク・トビーとの交友を通じ、
バハーイー教 (バハイ教)に入信。
1952年 デボンシャーのダーティントン・ホールで開催の 国際陶芸家
会議を主宰し、柳宗悦、濱田庄司らを招待する。
1953年 再び来日。
柳宗悦らと各地の窯場を巡る。
いくつかの窯場で指導者としての役割も果たす。
1963年 大英帝国勲章(Order of CBE)を受章。
1965年 大阪ロイヤルホテル(現・ウエストウイング)開業の際に、
バーナード・リーチの自由奔放な着想を、建築家の
吉田五十八が設計、具現化したカッテージ風バー
「リーチバー」が誕生。
1974年 国際交流基金賞を受賞。
視力低下のため作陶をやめる。
1979年 5月6日 没
2008年にバーナード・リーチが英国南西部・セントアイビスに
築造した工房が再建される。
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